1990年代に「立嶋ブーム」を巻き起こし、キックボクシング黄金期を駆け抜けた立嶋篤史(たてしま あつし)さん。
そしてその一方、今なおお笑い界の最前線を牽引する松本人志さん。
別の世界で生きる一見繋がりがなさそうな2人が実は互いに尊敬しあう盟友であることはご存じでしたか?
あの松本人志が尊敬する、立嶋篤史が実はかなりすごい男だったことがわかりました!
そこで今回こちらの記事では
について調査してみました!
立嶋篤史は何者?プロフィールを紹介!
名前:立嶋篤史(たてしま あつし)
誕生日:1971年12月28日
出身地:東京都豊島区
血液型:AB型
身長:173cm
体重:57kg
職業:キックボクサー、キックボクシングジム「ASSHI-PROJECT」オーナー
格闘技をあまり知らない方だと、173cmで57kgは随分ヒョロヒョロの印象を受けるのではないでしょうか?
立嶋さんが活躍していたのは、ボクシングの中でも「フェザー級」と呼ばれる階級でキックボクシングでは3番目に軽い階級です。
格闘技界ではメジャーな階級で、他に種目は違うものの那須川天心さんや長谷川穂積さんもフェザー級で活躍しておりK-1では最も軽い階級に位置付けられています。
体重が軽いからといってガリガリなわけではもちろんなく、しっかり鍛え上げられた身体で試合に合わせて体重を調整していくイメージです。
そして立嶋さんはキックボクシングのフェザー級で元全日本王者に君臨していました。
日本王者ということは子供のころからさぞヤンチャだったのでしょう。
何かエピソードがないか調べてみたところ、幼い頃の立嶋さんは逆にいじめられていたと本人が公言していました。
実際に著書の中でも、
僕は強くなりたかった。
ざまあみろ!―僕は、まだ生きている 立嶋篤史自伝
みんなに羨ましいと思われる強さ、収入、知名度が
欲しかった。
だから、キックボクシングを始めた。
その3つを得て僕を見下した全ての奴に
「ざまぁみろ!」
そう云いたくて頑張ってきた。
と記しています。
いじめられていたからこそ強くなりたくてキックボクシングを始めたんですね。
小学生のころに死まで考えたとのことでかなり辛い体験をしてきたのかもしれません。
そこでくじけずに思いとどまり、中学二年生の時に出会ったキックボクシングをきっかけに立嶋さんの伝説は始まったというわけです。
また中学卒業後は日本にとどまらず単身でタイへムエタイ修行へ渡ったそうです。
中学卒業ということはまだ15歳、不安や寂しさもあったことでしょうが見事16歳でタイでプロデビューを果たしました。
子供のころはいじめられていた立嶋さんですが、そのころから実は芯の強さは人一倍だったのかもしれませんね。
クレイジージャーニーに出演決定!立嶋篤志の逸話を紹介!
松本人志さんがファンと公言している立嶋篤志さんですが、彼がMCを務めるクレイジージャーニーに立嶋篤志さんが出演することが決定しています。
そこで番組放送に合わせて立嶋篤志さんのクレイジーな逸話を調べてみました。
中学卒業後、たった一人でタイへ!帰国後在学中に日本王者に
立嶋篤志さんがキックボクシングに出会ったのは中学2年生の時。
そのたった2年後、中学卒業と同時にタイへ渡りました。
まだ始めて2年の競技だったのにも関わらず、ここまで出来るのはかなりの行動力がありますよね。
そして小さい頃から志していたわけでもないのに、始めてすぐにタイ行きを認めてくれた親御さんたちの理解があってこそです。
立嶋さんはいじめられていたということなので、キックボクシングという夢中になれる競技に出会えたことが人生のターニングポイントだったのかもしれません。
さらに立嶋さんは帰国後17歳で日本の高校に入学して留年しながらもしっかり卒業までしています。
日本でもキックボクシングの試合に出場しながらしっかり学業での遅れも取り戻すなんて格好いいですよね!
しかも立嶋さんがキックボクシング日本王者に上り詰めたのは高校在学中というから驚きです!
立嶋さんは一度決めたら最後までやり通すという強い精神力があるのかもしれません。
その一方で性格は内向的で思い悩むタイプとのこと。色々な可能性を考え込むからこそ、最終的に自分が納得できる選択ができるのでしょう。
自宅に侵入した泥棒を自分で捕まえた!
2006年、立嶋さんの自宅一階に泥棒がはいりました。その時立嶋さんは二階にいたとのこと。
物音に気付いた彼は泥棒の後を追跡し、なんと自分で取り押さえてしまいました!
内向的な性格ゆえあまりメディアには出演しない立嶋さんでしたが、この事件はテレビでも取り上げられ一時世間を賑わせるニュースとなりました。
それにしても泥棒は侵入した家が立嶋篤史の自宅だと分かっていたのでしょうか?
分かって入ったとしたらかなりのチャレンジャーですよね・・・。
凶器を持っているかもしれない泥棒に果敢に立ち向かって行くなんてさすが日本王者です。
実際に犯人を取り押さえる際に傘でお腹を刺されていますが、そこで怖気づくことなく逮捕に協力したそうです。
この時の様子は立嶋さんのブログでも本人が詳細に振り返っています。
傘で刺された脇腹が痛い。
立嶋な日常「逮捕」
乱闘の際、肘から出血して中原裕さんに作ってもらった
Tシャツに血をつけてしまった。
膝もどこで転んだか腫れて、裸足で走った足の裏は
擦り剥いて痛い。
何枚も写真を撮って何枚もの調書に住所氏名年齢の
サインをして、今さっきようやく帰宅した。
犯人は前科があって常習でもあるらしい。
警察は喜んでくれていた。
そんなわけで僕は今から寝る。
非常に疲れた。
人生初のエキサイティングだった。
なんだか引き込まれるような文章ですよね。立嶋さんは二冊著書を出しているだけあり惹きつける文章を書く才能を感じます。
泥棒を捕まえたときのブログの全容が気になった方はぜひ読んでみてください。
51歳にして今なお現役!殴られ続けても引退しない理由
数々の伝説を残してきた立嶋さんですが、実は51歳の今なおまだ現役でリングに立ち続けているのです!
最近では4月16日の自身の100戦目記念マッチ。相手は34歳の松元仁志さんで彼の引退試合でもありました。
結果は試合時間を残り一秒残しての立嶋さんのKO負け。内容としては圧倒的に松元さん優勢で、立嶋さんは何発も食らい続けていましたが絶対に倒れなかったそうです。
立嶋さんはパンチドランカーなんじゃないかと言われています。
パンチドランカーとは、ボクシング選手に見られる症状で相手にパンチをもらいすぎたことにより物忘れや身体のしびれ、認知障害などを起こすと言われています。
そんな状態にも関わらず引退しない理由として過去のインタビューで「納得したいし、満足したい」「キックボクサーとして地位も名誉もお金も欲しい」からと答えています。
そしてパンチドランカーではあるものの、身体が無理なのに無理矢理続けているわけでもないから周りがどう言おうと続けると思うと語っていました。
あくまでまだ満足していない、続けたいから引退しないということでした。
立嶋篤史は結婚したがシングルファーザー?息子もボクサーとしてプロデビュー
生きる伝説として活躍する立嶋篤史さん。実は過去に結婚しており男の子供が一人います。
しかし自身の著書の中で息子さんが小学一年生のときにシングルファーザーになったとあります。
立嶋さんのお嫁さんはどんな人だったのか詳細についてはわかりませんでした。
当時の結婚相手について離婚なのか死別なのか、詳しいことはわかりませんがとにかく今は立嶋さんに妻はおらず息子さんと2人で暮らしています。
息子さんの名前は立嶋挑己(いどむ)さんでお父さんと同じキックボクサーとして2016年にプロデビュー。
2018年には親子対決も実現しており、テレビ出演もしています。
現在24歳とのことですが、2018年以降の戦歴などが見当たらず現在もプロとして活躍しているのかも確認できませんでした。
そのあたりについても放送予定のクレイジージャーニー内で明かされるかもしれませんね!