1970年代に連続企業爆破事件を起こし、重要指名手配犯だった桐島聡容疑者。
約50年近くもの逃亡生活を経てようやく逮捕となるか?と思われていた最中、入院中の病院で亡くなってしまいました。
これで、事件の全貌を明らかにすることができなくなってしまったのですが、『桐島聡』という人物について注目が集まっています。
そこで今回は、
●桐島聡のプロフィールや生い立ち、学歴、経歴は?
●桐島聡の家族構成が知りたい!
など、『桐島聡』という人物とはどんな生い立ちや経歴を辿ってきたのか、家族構成についても探っていきたいと思います。
最後までお付き合いくださいね。
桐島聡wikiプロフ!
●名前:桐島聡(きりしま さとし)
●生年月日:1954年1月9日
●年齢:70歳(2024年1月29日死去)
●出身地:広島県福山市
●身体的特徴:身長は160㎝
極度の近視
足が細い
顔にニキビ跡
広島の方言を話す
1974年~1975年に発生した連続企業爆破事件に関与したとして、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配された桐島聡容疑者。
1975年には他の容疑者が8名一斉逮捕されたのですが、桐島容疑者は警視庁に指名手配される中、逃亡を続けていました。
桐島容疑者は逃亡中『内田洋』という偽名を使っていたということなのですが、身元が明らかになった時には既に末期ガンだったとのこと。
そして、偽名を使っていたことを明かした3日後の2023年1月29日に、入院先の病院で死亡したことがわかりました。
『最後は本名で』と思ったみたいだけど、事件の解決を願っていた被害者遺族は残念でしかないだろうね…
桐島聡の現在の顔画像4選
桐島容疑者の生の顔は58歳の頃と思われる上記の画像がテレビで出回っていますが、それ以降の顔画像というのは出回っていません。
そのため、桐島容疑者の顔を最後に見たのは入院していた病院勤務の方と警察ということになるでしょう。
そこで桐島容疑者70歳の顔画像について、
●元警視庁吉川さんとBELLEFOTO協力
●EmbodyMeのAI加工
●警視庁①
●警視庁②
が再現した画像を紹介していきます。
元警視庁吉川さんとBELLEFOTO協力
上記画像は、長年指名手配犯の似顔絵作成に関わっていた元警視庁刑事の吉川さんと写真加工を専門に行う会社『BELLEFOTO』が協力して加工した桐島容疑者の顔画像です
指名手配写真から50年後の比較写真として、作られたのですが、末期がんを患っていたという部分も再現されているのか、かなりげっそりしている印象を受けますね。
本当にこの顔であれば、昔の面影がないため、気づかないというのも自然なのかもしれません。
EmbodyMeのAI加工
上記画像は『EmbodyMe』の吉田一星さんがAI技術で加工した画像になります。
AI技術は、絵が上手な人が写真をもとに推定して描いているようなものになるのですが、カラーなので白髪やシミ、シワなどがとてもリアルですね。
指名手配の時の写真をもとに作られたということで、直近の顔と比較すると、この画像が一番現在の桐島容疑者に近いのかなと思います。
頬のたるみや口元なんてそのままだよね!
警視庁
警視庁からは2枚再現写真が発表されてますが、上記の画像は1つ目のものです。
画像に3つの画像が掲載されていますが、末期がんを患っていたということなので、現在に一番近いのは向かって一番左の画像かもしれませんね。
警視庁②
警視庁による顔画像再現の2つ目が上記の画像です。
70歳で末期がんということでかなりやつれている印象を受けますね。
EmbodyMeのAI加工の画像と似ているため、最後の桐島容疑者の顔に一番近い可能性が高いと思われます。
警視庁の再現画像は以上になりますが、聴き取りをした捜査員がいるため、その捜査員から聞き出すことができれば、より現在の桐島容疑者に近い顔画像が今後出てくる可能性もあるかもしれません。
桐島聡の生い立ち!学歴や経歴などを時系列で
桐島容疑者の生い立ちや、どんな学校に通ったのか、またどんな経歴を辿ってきたのかを時系列で以下にまとめました。
【1969年4月】
●『広島県立北尾道高校』入学
【1972年4月】
●『明治学院大学法学部』入学
【逃亡直前まで】
●歌舞伎町の大衆居酒屋でアルバイト
【1975年4月19日】
●韓国産業経済研究所を爆破
【1975年5月31日】
●父親に連絡後、消息不明
【時期不明】
●工務店勤務
【2024年1月25日】
●身柄確保、その3日後の29日に死亡
では、それぞれ詳しく解説していきます。
【1969年4月】『広島県立尾道北高校』入学
瀬戸内海に面したのどかな場所で幼少期を過ごした桐島容疑者は、県内の『広島県尾道北高校』に入学します。
高校時代の桐島容疑者は、『熱しやすく冷めやすい性格』で、周囲から少し浮いた存在だったと同級生は明かしています。
尾道北高校は進学校として知られていたのですが、桐島容疑者はクラスメイトに、
青春の全てを犠牲にしてまで、がり勉になって何になるのか?
と独自の考えを語っていたとのこと。
この独特な考えを同級生に話したことがきっかけで、同級生も距離を置くようになったんだって…
また、他の同級生は、
列車で約1時間かけて通学していた。真面目で目立たないタイプだったが、体育際などの学校行事ではクラスメイトと一緒に汗を流していた
と話していることから、協調性は比較的あったのかもしれませんね。
【1972年4月】『明治学院大学法学部』入学
高校を卒業した桐島容疑者は、『明治学院大学』の法学部に進学しています。
入学後は映画研究部に入部しましたが、『熱しやすく冷めやすい性格』が原因だったのか、約1年で退部しています。
その後は、同和問題の研究サークルに入部するものの、このサークルも長続きしなかったとのこと。
そんな大学時代を過ごしていた桐島容疑者は、在学中に容疑者の2人である黒川芳正や宇賀神寿一と出会い、『東アジア反日武装戦線』に『さそり班』として参加し、指名手配されることとなった事件『連続企業爆破事件』など複数の爆破事件に関与することに。
【1975年4月19日】韓国産業経済研究所を爆破
まだ大学在学中の1975年4月19日、銀座にあった韓国産業研究所の入り口ドア付近に手製の時限爆弾を仕掛け、爆発させる事件を起こします。
それがきっかけで、指名手配犯になるのです。
【逃亡直前まで】歌舞伎町の大衆居酒屋でアルバイト
桐島容疑者が爆破事件を起こしたのは1975年4月なのですが、その直前まで歌舞伎町にある大衆居酒屋でアルバイトをしていたという情報がありました。
桐島容疑者が指名手配されたのは1975年5月で、消息を絶ったのが1975年5月31日。
それまでは普通にアルバイトをしてたことから、桐島容疑者がテログループの一員だったと知られるまで少し時間がかかった可能性が高そうですね。
【1975年5月31日】父親に連絡後、消息不明
爆破事件を起こした約1か月後の1975年5月20日、渋谷区内の銀行で現金を下ろし、同月31日に実家に電話をかけています。
電話に出た父親に、
岡山の女と一緒にいる
と伝えた後、消息不明に。
この時、父親はまだ桐島容疑者がテログループのメンバーだったことを知らなかったんだって。
【時期不明】工務店勤務
消息不明後に、海外逃亡していたと思われる桐島容疑者ですが、その後は日本に帰国し、神奈川県藤沢市内の工務店で数十年間、住み込みながら働いていたとのこと。
当時、『内田洋』という偽名で勤務していたことが捜査関係者の取材で明らかになりました。
しかし、いつから何年程度働いていたのかはわかっていません。
【2024年1月26日】身柄確保、その3日後の29日息を引き取る
桐島容疑者は2024年1月から、神奈川県にある病院に偽名で入院していました。
病名は『胃がん』で既に末期だったとのこと。
しかし、入院先の病院で、
最後は本名で迎えたい
ということから、本名である『桐島聡』と告白し、2024年1月26日に身柄を確保されました。
警視庁の聴き取りに対し、
一人でいた。後悔している
と話していたことからも、先が長くないことを悟っていたのでしょう。
そして、3日後の29日に息を引き取りました。
その後、桐島容疑者の複数の親族とDNA型を照合したところ、一部から『親族関係に矛盾なし』という結果がでましたが、親族が遺体の引き取りを拒否したため、2月7日に神奈川県鎌倉市逗子市内の火葬場で火葬が行われました。
遺骨は市が委託した葬儀社に5年程度保管し、引き取りてがない場合は無縁仏になるんだって。何だか寂しいね…
桐島聡の家族構成は?
約50年近くもの逃亡生活を経て、ひっそりこの世を去った桐島容疑者。
そんな桐島容疑者の家族構成が明らかになったということで、以下に簡単にまとめています。
●父親
●母親
●長女
●次女
●桐島容疑者
●弟
の6人家族。
当時は、明家として有名で、曾祖父が明治時代から村会議委員、祖父が村議や町議を務めるなど、周囲から一目置かれる家柄だったとのこと。
では、桐島容疑者の家族についてそれぞれ詳しく探っていきます。
父親
桐島容疑者が消息を絶つ前に唯一連絡を取ったと言われている父親は、農林水産省の地方職員だったという情報があるのですが、根拠がないため、実際のところ真相はわかっていません。
名前や顔画像なども出回っていない状況なのですが、桐島容疑者が70歳だったということを考えると、父親の年齢は90歳を超える高齢であると予想できることから既に亡くなっている可能性が高いとのこと。
自分の息子が指名手配犯として全国に顔が知れ渡った後は、肩身が狭い生活をしていたのかもしれませんね…
母親
母親の情報についても現時点では何もわかっていませんが、父親同様、年齢は90歳以上で亡くなっている可能性があるか、病院や介護施設などに入所している可能性が高いと思われます。
当時の時代背景から考えると専業主婦をしていたと考えられますが、自分が大事に育てた息子が世間をゆるがす事件に加担し、全国に指名手配をされるなど当時は考えてもいなかったでしょう。
しかし、母親というのはどんなことを犯したとしても子供は子供です。
常に身を案じていたと思われるのですが、消息を絶ってから母親に合うことなく、亡くなってしまうことになったと考えると、なんて親不孝なことをしたのだろうかと桐島容疑者自身もどこかで思っていたのかもしれませんね…
姉弟
桐島容疑者は4人兄弟の3番目で上に姉2人、下に弟が1人いました。
姉弟についての情報もわかっていないのですが、姉2人は70~80代、弟は60代くらいである可能性が高そうですね。
DNA鑑定の際に姉弟2人が協力していると報道されており、姉弟からのDNAは親子ほど確率が下がるということなのですが、『親族関係に矛盾なし』という結果が出たということなので、桐島容疑者とDNAに協力してくれた親族は姉弟関係だった可能性が高いということになります。
70歳の桐島容疑者が亡くなっていること、姉弟の2人がDNAに協力してくれていることを考えると、姉2人のどちらかが亡くなっており、弟は生きていると考えられるのではないでしょうか。
とはいえ、残った親族も既に高齢の域に入っています。
桐島容疑者と親族関係だったとは言え、遺体の引き取りを拒否していることから、このまま何も語ることなく静かに余生を送りたいと思っているというのが本音なのでしょうね…
まとめ
今回は、連続爆破事件に関わったとした指名手配犯・桐島聡容疑者のプロフィールや学歴、家族構成についてまとめてきました。
約50年近く逃亡の末、身柄確保後すぐにこの世を去った桐島容疑者。
亡くなってしまった以上、新たな情報が出てくることはもうないのですが、『最後は本名で迎えたい、後悔している』と語っていたことから、それが桐島容疑者の全てだったのかもしれませんね。